走り込み(後編)

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おはようございます。すずのじです。

前回の記事では野球選手が長距離の走り込みをする必要性はないのではないかということについて考えてみました。

そして後編の今回は野球に限らず、日本の部活動で走り込みをする理由、そしてなぜなくならないのかを考察したいと思います。

みんな嫌いな走り込み

パイドゥ株式会社(東京都港区)が提供する日本語入力&きせかえ顔文字キーボードアプリ『Simeji』が、2023年6月に同アプリユーザーを対象としてインターネットで実施した調査で、全国の10~24歳の男女616人に「部活あるある(体育会系編)」を聞いたところ、「地獄の走り込み」が1位となりました。

 

夏場の体育館や、返事が「ハイ」以外に許されないことを抑えての1位ですから、みんなよほど嫌いなんでしょうね。

かくいう筆者も大嫌いです。

 

さて、学生の総意とまでは言いませんが、多くの学生が走り込みをしたくないと思っていることが分かりました。

 

ではなぜ未だに走り込みは練習に組み込まれているのでしょう?

 

指導者の視点も考えてみます。

 

その指導の根拠は?

 

指導者といっても、多くの場合、結局は学校の先生ですから、最先端の指導理論やスポーツ論を学んでいるわけではないでしょう。実際教師という職業はとても忙しいため、勉強時間を取れというのは酷な話です。

だからといって、根拠のない指導ばかりするのはどうかと思いますが、この話は論点が違うのでまたの機会にしましょう。

 

基本的に人間は、自分の成功体験やいいと思ったこと=正しいこととして考えがちです。

その為、指導の先生たちは、自分が当時教えられて上手く行ったことや、人伝に聞いた話を信じて子供達に教えています。

 

それ自体が間違ったことだとは全く思いません。しかし問題なのは、その経験が正しいのだと思い込んでしまい、疑問を持たなかったり、新たな考えを取り込まないことです。

当時の常識は、現代ではかなり変わってしまいましたから、時代に合わせたことをしないといけません。

 

ちょっと悪い考察

 

この指導が正しいと思い込んでしまっているならまだ救いはあります。どこかで気付くきっかけがあればいいのですから。

しかし、もう一つ考えなければならない可能性として、「選手を支配するため」に走らせるということです。

ミスをした選手に罰走を設けたり、はたまた連帯責任と謳ってミスしていない選手も含め全員を走らせたり等、精神的な苦痛を味わわせて、選手の心を折って支配するという手法を取る指導者も筆者は見てきました。

自分だけ罰を受けるならまだしも、自分のせいで全員に迷惑をかけてしまうという罰は行き過ぎです。走り込みどころかその競技ごと嫌になってしまいかねません。

これは絶対にあってはいけないことですが、悲しいことに日本のあちこちに根深く存在しています。

一刻も早くこういった傲慢な考えを持った指導者がいなくなってくれることを願っています。

 

さて、散々書き散らしましたが、とても勉強熱心で、謙虚な指導者や、自分で考え、根拠を持って練習をする選手もたくさんいることだけはここに書いておきます。

 

 

まとめ

 

 

結論として筆者が言いたいことは、どんな練習にもはっきりと意図を持ってやるかどうかが全てだと言うことです。

走り込みだって、メリットがない訳ではありませんし、そこに意味や意図、意義があるなら、やるかやらないかは本人の自由です。

逆にどんなに効率的で科学的な素晴らしい練習も、何も考えなければ効果は半減ということです。

せっかくスポーツをやっているなら、色々考えて工夫した方が楽しいですしね!

 

 

今回は走り込みがなぜなくならないのかを考えてみました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

引用(Simejiランキング】Z世代が選ぶ!!「部活あるある(体育会系編)TOP10」https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000728.000006410.html)

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